先日、父が旅立ちました。今回のコラムを書くかどうか悩みましたが、心の整理をつけるためにも、そして父から色々な事に改めて気づかされたので書かせていただきました。まとまりきれていない文かもしれませんが、皆さんにとって、幸せな時間を過ごすヒントや架け橋になれたらうれしいです。
父は、最期の最期まで、時計をいっときも外しませんでした。
勤続記念に会社からもらった時計を、何十年も毎日つけ続け、入院中も最期までそのままつけたまま旅立ちました。父にとって、時間はそれほど大切なものでした。誕生日には必ず誰よりも先に「おめでとう」と連絡をくれて、誰の何の日があるのかも、几帳面に覚えていました。「今月〇日はお母さん(私の母)の誕生日だから、それまでになんとか退院して透析に行くバスに乗れるように、足の筋肉を鍛えなきゃな。」その時にはもう、父に生きる「時間」がない事を父自身も知っていました。私にはとても真似はできませんが、父にとって時間を大切にすることは、愛する人たちを大切にすることだったのだと思います。
入院中、父はジュースが飲みたいと言っていたので、お医者さんから許可をいただいた量のジュースを届けて看護師さんから用意していただいた量のジュースを飲んだ時、「ああ美味しい!」心の底から嬉しそうに口にしました。
そして父が私に「親子、水入らず-!」と言ってくれました。その時、本当は「お父さん、これまで本当にありがとう」と伝えたかったのですが、その言葉を口にしたら父の最期を認めてしまう気がして、どうしてもどうしても言葉につまって出てきませんでした。
父が息をひきとったとき、言えなかった一言や、もっとしてあげたかったこと、かけてあげたかった言葉が、一気にこみあげて涙が止まりませんでした。あの1秒を取り戻したい。でも時間は取り戻すことができないのを、この日ほど辛く感じたことはありませんでした。
「お父さんのおかげで私たちは幸せだったよ。本当にありがとう。ありがとう、お父さん。」と何度も父に届いてほしいとずっと手を握りながら声をかけましたが、いつものように「理沙」と呼び返してくれることはありませんでした。
私たちがよく思う心の中で思う「いつか」は、「今」の現状から目を反らし、先延ばしにしてしまった後悔しか生まれないとこの時、心の底から感じました。
お父さん、本当にありがとう。
「今」という時間を、大切な1秒1秒を、私らしく、そして大切な人や色々な人達が幸せになれるように、後悔なく、心をこめて過ごしていこうとおもいます。


